学習院大学 輔仁会弁論部 の歴史

学習院大学輔仁会弁論部の歩みです。弁論部は明治22年の輔仁会発足と同時に「学習院輔仁会演説部」として発足して以来、幾度か名称を変えながら現在まで至っている、学習院大学輔仁会公認団体の中で最も歴史のある部活動のひとつです。


学習院大学輔仁会弁論部の歩み

弁論部は明治22年(1889年)に「演説部」として発足。輔仁会の中でも最も古い部のひとつです。明治末期の弁論部には志賀直哉、武者小路実篤、石渡荘太郎などが部員として活躍しました。大正時代からは学者や文化人を招いて講演会を行うようになりました。当時の講師を見てみると、哲学者の天野貞祐、詩人の西条八十、政治学者の吉野作造などが名を連ねています。また夏目漱石が「私の個人主義」と題する講演をおこなっており、これは後に彼の代表的著作として出版されています。この他にも和辻哲郎、芥川龍之介らも講師として招かれています。また大正末期に部の名称が変わり、現在まで続く「弁論部」となりました。昭和初期から戦中にかけては世相を反映して部の活動も次第に制限されるようになり、昭和19年には戦時非常措置により活動停止となりました。

昭和20年の終戦により部の活動が再開されます。昭和27年には安部能成院長が、まだ発足後まもない学習院大学を盛り立てるために第1回院長杯争奪弁論大会を開催しました。戦後の弁論部は各新聞社や大学の主催する討論会や弁論大会に出場し、活動の幅を広げていきました。昭和30年春には総理大臣杯争奪全関東大学討論大会で優勝しました。また全関東学生雄弁連盟に加盟するなど、他大学との交流も積極的におこなってきました。

 現在、弁論部はおよそ20名の部員を擁しており、集うことあっても群れることなく、日々自分の意見と知見をもって切磋琢磨を続けております。


♦明治22 (1889) 年 学習院大学輔仁会演説部(現弁論部)設立

 

♦明治36 (1903) 年 学習院輔仁会邦語部 に改称

 

♦大正03 (1914) 年 夏目漱石が「私の個人主義」と題する講演を行う

 

♦大正12 (1923) 年 学習院輔仁会公演部 に改称

 

♦大正13 (1924) 年  学習院輔仁会弁論部 に改称

 

♦昭和19 (1944) 年 アジア太平洋戦争の戦況悪化に伴う戦時非常措置により活動停止

 

♦昭和20 (1945)年 輔仁会理事会で戦時非常措置の廃止と文化部の復活が決定される

 

♦昭和22 (1947) 年 学習院学制が廃止される

 

♦昭和23 (1948) 年 学習院輔仁会弁論部の実質的な活動が再開される

 

♦昭和24 (1949) 年 新制大学として学習院大学が開設される

 

♦昭和24 (1949) 年 学習院大学輔仁会弁論部に改称

 

♦平成04 (1992) 年 弁論部初の女性幹事長が登場する

 

♦平成19 (2007) 年 弁論部のHPが開設される

 

♦平成19 (2007) 年 第1回「桜弁会杯」(学習院大学内弁論大会)が開催される